90歳ヒアリング トキの架け橋【鹿児島県 金城ツルさん 95歳】

「90歳ヒアリング トキの架け橋」
〜生かされて生きる女性のことば〜

90歳ヒアリング トキの架け橋
生かされて生きる女性のことば

子育てのトキ
仕事のトキ
家事のトキ
過去と現在と未来の懸け橋になる人生の先輩からの生のお声で、メッセージを未来へ届けていきます

鹿児島県 金城ツルさん

年齢:95歳
お住まい:鹿児島県大島郡知名町

2023年9月、鹿児島県沖永良部島にお住いの金城ツルさんとお話をしてきました。

対談の一部をご紹介します。

子育て・家事

戦前、ご親戚がいた台湾で学校の先生をされていたツルさんは、終戦後沖縄航路の艀の機関長をされていたご主人とご結婚され、沖永良部島で教員を続けられました。

ツルさんの家族5人と、お父様と叔母様の7人家族で生活されていて、叔母様が3人の子育てを担ってくださったとのこと。
子どもたちは、大人になるまで本当のおばあちゃんだと思っていたそうです。
「ばあちゃんがいるおかげで私こんなに仕事ができるよと言ったら喜んでいました」

ご主人は運動会へ行ったりはしてくれたけれど、仕事が第一、儲けるより仕事をすることが大事な人。
生活は私のお給料でしていた、ほとんど叔母に渡していた。
夫は仕事を応援してくれていた、ともおっしゃっていました。

仕事と出産・子育て

今の子育てをどのようにみていますか?
「保育園、幼稚園があるのがいいですよね。昔は産休というものがなかったんです。2・3週間で学校に行っていましたね」

叔母様やお父様が赤ちゃんを学校へ連れてきて、保健室で授乳されていたそうです。

保健室で産後の2~3人の同僚と一緒に授乳をしていました。
「10分間と時間が決まっていて、10分たったら、不足でも、泣いても、連れて帰るんです。」

若いから(体が)強かった。妊娠していても体育をしていた。
「お腹が大きいから、やめてよ」と父兄に注意されたこともあった。
産前は、休みはなしで生まれるまで授業をしていた、その晩、安産だったとのこと。

母は強しだな、と感じました。

子育てと仕事のエピソード

お母さんに見せたいとかけっこに出動する運動会を親子で楽しみにしていたが、雨で順延になってどうしても仕事が重なり仕事に行かざるを得なかったときに、寂しかった娘さんが
「お母さん、私が大きくなったら教員なんか絶対せんからね!」と言い残して学校へ。

私は泣いてしまった。
でも、仕事をやめたいとおもったことはなかった。

その娘さんはどのような仕事に就かれたのでしょうか
働くお母さんの背中はどのようなものだったのでしょうか…
続きは、取材の様子を動画にしております。
↓こちらからご覧くださいませ。


 

90歳ヒアリングプロジェクト
株式会社アカデミーシェアリングでは、東京都市大学の教材づくりの一部に、携わらせていただけることになりました。 監修は東京都市大学環境学部 古川柳蔵教授です。
古川教授は、これまで全国で600名以上のご高齢者のヒアリングを実施され、地球資源を利用した生活をされてきた方々のお話から、「44の失われつつある暮らしの価値」を示されました。
著書『90歳ヒアリングのすすめ- 日本人が大切にしたい暮らしの知恵をシェア しよう 』
古川柳蔵・佐藤哲著:日経BP社

今年度は、これまで古川教授が実施されてきたインタビューに続き、弊社が女性にフォーカスし、インタビューさせていただきます。
※取材・対談の全てのお声を文字に起こし、そのままのお声と内容を、音声テキスト/文章化し、教材として東京都市大学に提出しています。
※OBCラジオ大阪で「90歳ヒアリング トキの架け橋」の特別番組を予定しています。
放送日が決まりましたら、弊社の専用SNSやこちらのオフィシャルブログでもご案内いたします。