命を持つこと

今年もあと少しになりましたね。

今回はプライベートの内容になるのですが、心に感じたことを書き留めたいと思います。

私には90歳を超える祖母が3人います。
近所に住んでいた父方の祖母、乳児期に沢山育ててくれた母方の祖母、憧れの可愛い夫の父方の義祖母。
みんな本当に強くて優しくて、こんなおばあちゃんになりたいな・・・と思える可愛い女性。

先日、父方の祖母が95歳で亡くなりました。死因は老衰。
しばらく病院に入っていて、それでもまだまだ食欲もあり、まさかの気持ちで知らせを聞いて駆けつけました。

夜眠り、そのまま朝方担当の看護師が見に行くと亡くなっていたそうです。
話だけを聞くと、誰にも見守られずに逝ってしまったのか悲しくてかわいそう。となるかもしれません。
けれど、その寝顔を見ますと、本当に気持ちよさそうに、苦しんだ表情もなく、すーっと永遠の眠りにつくお顔をしていました。

死に直面することで感じること

通夜の時に、顔を見て大号泣したのは8歳の次女。
「え。もうおばあちゃん起きないの?死んじゃったらもう会えないってこと?このままおばあちゃんの体はどうなるの?・・・・・」
いろんな不思議や疑問を投げかけながらずーっと声をあげて泣いていたんです。
・もう一回やり直し。
・クリア!
・あと3個の命
などなど・・・・

現代の色々なゲームや漫画、あそびからの情報で、本当に命が亡くなってしまうことについて、なんとなく理解はしているけれど心でそれを感じることを知らない子供たちが多いかもしれません。そこには、情報だけではなく、核家族、地域とのつながりの希薄等、身近に親しみを持ってお年寄りと関わる機会がなく、誰かの死を自分事のように直面できる機会も少ないこともあるかも知れません。

「Mちん。(次女)そうなんよ。おばあちゃんね死んでしまったんよ。もう二度とここで目を開けることはないのよ。病院行って、ごはんに出てくるジュース、いっつも置いててくれて、飲んでいいよって言ってくれたもんね。もう会えないね。お話もできない。一度死んでしまったら、もうやり直せないの」

「嫌だいやだいやだー。おばーちゃーん」

そんな会話をひ孫である娘として一緒に泣きました。

 

故人を想い、今を生きること

喪主の父が最後にお越しになった皆様にお話した言葉
「母は、大正時代のモダンガールを絵にかいたような女性でした。明るくて強くて、だから最後も誰にも迷惑かけず、また会おうね。待ってるよ!バ~イ!と言わんばかりの死に方でした。・・・・」

そんな話をしていました。
本当にお洒落さんで、モダンなおばあちゃんだったんです。

あんなこともあったな・・・
こんなこともあった・・・
それぞれに、みんなが祖母との思い出を持っています。
それを胸に、まだまだ生きていくことを誓う。
命のバトンは続きますね。

 

 

親戚との関係

告別式と初七日を無事すませ、親戚が解散した後、それぞれの親(←祖母の実の子になりますね)に確認して、従妹で大集合し、その足で祖母の家に行きました。
箪笥や戸棚からいろいろなモノを出し合って、品評会をし、ファッションショーです。
この帽子私には似合わないけどAちゃんいいんちゃう?
このカシミアのストール。御爺ちゃんのやわきっと、おばーちゃんとってたんやね。
などなど、孫は全員女性でして、盛り上がる盛り上がる・・・
若いころは洋服屋さんを営んでいた経験もある祖母の家は、それはそれは沢山のお洒落で可愛い洋服やバックがありました。

それぞれに、色や形の好みも違っていて、みんなケンカもせず、取り合いもせず、好きなモノをいただいて帰ってきました。^^
帰りに、祖母の家の近所にあるファミレスで「ばーちゃんを偲ぶ会」を営業時間最後までしてきましたよ。いっぱい泣いていっぱい笑って・・・
「おじいちゃんも おばあちゃんも死んでしまったけれど、また定期的に従妹会しようね。」

と約束もできました。みんなママしていて、仕事していて忙しい毎日に、こうして集合させてくれた祖母に感謝です。

 

いつでも帰ってまた生活がスタートするようなダイニングテーブルの上にある、キャラメルの箱、冷凍庫に入っているかき氷・・・
いつでも遊びに行ったら「これ食べ。」と出してくれるものが、そのまま残っていて。
きっと孫の私たちがあれやこれやと物色しているすぐそばに、おばあちゃんはいてくれていたんじゃないかな。と思っています。

死への想い

自分自身が歳を増すごとに、大切な人とのお別れも数を重ねてきました。

・命の寿命は生まれたときに決まっていて、その期間を、人間界で生きたかったんだよ。
・沢山泣いて涙を流した分、三途の川の水が増し、流れが良くなり、天国に穏やかにいけるのだって。

と愛しい人を失った時に教えてもらったことがあります。だから大切な人が死んでしまった時、我慢せずに沢山泣きます。
そのたびに、死への恐怖心が薄れます。
もし、自分の命が亡くなっても、待っていてくれる人が沢山いる。
そう思えるからです。
だからこそ、その人たちに

「待ってたよ。楽しんでたやん。」

と笑顔で迎えてもらえるように、今、いっぱいいっぱい生きたいと思います。

みんな持ってる一つだけの命。
どんな人にも、大切に温めてもらい、産んでもらったことがある。
みんな持ってる一つだけの命。

 

本当に私事を最後まで読んでくださり、ありがとうございます。