どんなふうに命を燃やすかは自分次第
大型連休も後半になりましたね。
初日から東京へあそびに行ってきました。
旅の帰路でいつも子どもたちからもらう言葉
「ママのいつものご飯が食べたい」
これはママ冥利に尽きますね。(*^-^*)
いつも通りの、特別なものではないのですが、ママの料理でほっとしてくれることがうれしい日々です。
お魚焼いたり、煮物を作ったり…毎日のありきたりのメニューではありますが、健康でいてほしいな。元気に過ごしてほしいな。魚にも野菜にも卵にも命を分けてくれてありがとう。そんなことを思いながら切ったり焼いたり混ぜたりね。
(*^-^*)
さて、今日は祖母の家に行ってきました。
近くに住む叔母と二人で、祖母の家を大掃除しました。
90歳を超えて、施設住まいの私の大好きなおばーちゃん。
今までのように、1人で家で暮らすことは難しいかな。まだ分からないけれどいつでも家を整えて出ることができるようにしておいてあげよう。
と、叔母と二人で整えてきました。
※とはいっても、何十年と暮らしてきた家を、今日の半日あまりで全て整えるのは難しいのですけれどね。しばらくはかかりそうです。
暮らす年月が経つごとに、物は増えますね。
特に、戦争、火事、震災をリアルに経験し、被災者になった祖母は、モノを置いておくことを好み、大事にします。
ストックで溢れる場所も少なくありません。
これから使うのか、使わないのか、
他に使ってくれる人はいないかなど、一つ一つのモノに向き合いながら叔母と一緒に作業すること数時間。
色々なモノが出てきました。
改めて、父がここで育ち、大人になった家なんだな・・・
他界した祖父が毎日このカッターシャツを着て仕事に出かけ、家族の元にもどってきた家なんだな・・・
この台所で祖母は毎日家族に料理を作り、みんなで食べて過ごした空間なんだな・・・
色々なモノを触り、その時の情景が目に浮かび、何とも言えない感情になりました。
人には一つだけの命があり、その命をどんなふうに燃やすのか。
何億個という命の種から選ばれて生まれてきた自分は、今を精いっぱい生きているのかな。
ふと先日小学校の児童に向けた命の授業を思い出しました。
私がここにあるのは両親があるから。
その両親を育ててくれたのはおじいちゃん、おばあちゃん(*^-^*)
そこにも家族があり、会話があり、生活のある空間があったのだよな・・・
当たり前のことかもしれないけれど、しみじみそんなことを感じながらの帰路でした。
「おばあちゃん。私があそびにいくと、どこのお姉ちゃんかな?って表情をして笑ってくれるけれど、そんな私だけれど、何十年も暮らしてきたおばあちゃんの家の中のモノをこうして整理してよいのかな。。
どうぞ許してくださいね。そしてありがとう。」
そんな気持ちでいっぱいです。
命のリレーのバトンをしっかり受け取り、また回していくっていうのは、命を燃やし切るまで見守り、受け取り、渡すこと。
そこには、考え方や理屈だけでは済まされない命の神秘さや、心が動くままに気付くこと、学ぶこと、できることがあるのかなと思いますね。
今の私だからこそできることをこの世に残して行けるような生き方をしたいな。
本当に生きていく中で必要なモノって、ほんの少しだけだったりします。
ほんの少しだからこそ、自分を取り巻くモノ、ヒト、コトが全部大切で、かけがえのないものでありたいなと心から思います。
宇宙から見たら一瞬の自分の人生で出会えた皆様に心から感謝したいです。改めて…
とりとめもないことではありますが、今の気持ちを書き留めたくて、私事読んでくださり本当にありがとうございました。
a.s.桑原あずさ